日本の養蜂の歴史
人間とミツバチとのつきあいは8000年以上も昔にさかのぼると言われています。
紀元前6000年ごろにスペインのラ・アラーニャ洞窟に描かれた壁画には、はちみつを採集する人の姿が描かれています。
日本の養蜂は、643年(皇極天皇2年)に、現在の韓国から「太子余豊が蜜蜂の房す四枚をもって三輪山に放ち養うしかれどもうまわらず」と日本書記に語られており、失敗に終わったようですが、これが日本の養蜂の起源と言われています。
その後、江戸時代の貝原篤信のしるした「大和本草」にも養蜂の記事があり、ニホンミツバチを使った養蜂がさかんになりました。
江戸が東京になり欧米文化が入ってくるに従って日本の養蜂も整ってきましたが、明治6年に田中芳男がオーストラリアからドイツの養蜂書を持ち帰ったのが日本でのセイヨウミツバチを使った欧米の養蜂術、つまり近代養蜂の最初と言われています。
明治5年の養蜂一覧
秋田屋本店では当時秋田杉を取り扱っており、これがもっともミツバチの巣箱に適するということで、明治20年に5代目中村源治郎が巣箱の制作を行い、初めて養蜂器具の取り扱いをしました。
明治40年代には各地に養蜂家が増え、セイヨウミツバチを使った養蜂が新しい産業として定着し、今日に至っています。
店頭での販売も行っております。ぜひお気軽にお立ち寄りください。
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